Live Strong
ツール・ド・フランス総合5連覇達成者であるミゲール・インデュラインが全盛期の頃,ランス・アームストロングの名前を初めて知った。
1995年のカサルテッリの落車事故の後,モトローラを率いていたエース,ランス・アームストロングの姿は覚えていた。横一列になって,主のいないカサルテッリのバイクと一緒にゴールしたシーンは忘れられない。
その後だっただろう,ランスが癌に冒されていることを知ったのは。
しばらくはランスの名前を忘れていた。
1999年,再びランス・アームストロングの名前を知った。信じられなかった。あの癌におかされたランスがカムバックしただけでなく,ツール・ド・フランスで総合優勝したのだから。
その翌年だったろうが。叔母に脳腫瘍があるということを知らされたのは。まっさきに,癌から復帰したランス・アームストロングの名前を思いだした。全く根拠はないが,癌からカムバックして,アルプス,ピレネーの山脈を越えるだけでなく,総合優勝した人がいるんだから,大丈夫,もとに戻れるよと。
2001年夏ランスは3年連続パリ,シャンゼリゼ通りでマイヨ・ジョーンヌに袖を通したが,その秋叔母は亡くなった。
亡くなる直前の週末一人で盛岡の病院に見舞いに行った。別に何の感情は持たなかった。大丈夫だろうと。
亡くなったその日,タイヤ交換をしようと実家に向けて車を走らせていた。なぜか,一般道を使った。ゆっくりとゆっくりと行こうと思って。PHSに留守電があったことで状況はわかった。
そのときは悔しかった。ただ悔しかった。
月日は流れ,2004年,ランスは前人未踏のツール・ド・フランス総合6連覇を達成した。このとき,LANCE ARMSTRONG財団のLIVE STRONGキャンペーンを知った。アテネのパラリンピックでもLIVE STRONGのリストバンドをした選手がいた。
癌とどう向かいあえばいいのかわからない。LIVE STRONGはどうあるべきなのかは全くわからない。が,そんなアスリートがいたことを記憶に留めておこう。結果はどうであれ,あの当時,確かにランス・アームストロングの姿に勇気をもらったのだから。
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