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2005年4月

2005/04/30

埼玉へ

5月中旬からは西新宿で働くことが決まっているので,埼玉県に引越す。今日,アパートの契約完了。
親,妹には今まで大変心配をかけてしまった。まだまだ心配をかけることもある。まだ何といえばいいのか判らないけど,適当に無理せずに生きていって心配させないよう頑張ろうと思う。早く事業資金貯めて,実家に帰ることも検討できるように考えたい。

朝の7時に仙台宮城ICから乗り,11時半には埼玉県の目的地に。というよりも,二本松から須賀川まで国道4号バイパスを使うという馬鹿なことをしなければ,11時前に到着していたのではないのではないかと思う。300km,4時間で走れるのでまだそんなには遠くはないのか。
でも,実家までは600km弱,8時間…。高速代,10,000円越えるよ。車で帰るのが馬鹿馬鹿しくなる気がする。深夜割引などなどいろいろな技使えば7000円台になるが,夜間一人で走行するのは恐い。
秋田市に父が単身赴任しているので,単身赴任の間中は秋田空港やこまちの割引き切符を利用して秋田市経由で帰省してもいい(思いっきり遠回りだが)。一方,盛岡経由(岩手銀河鉄道,花輪線)だと良い割引き切符が無いので3連休パスぐらいしかないか?回数券はGWやお盆,年末年始は使えないし。

まだ仙台のアパート空け渡しなど事務的手続きを幾つかまだ終了していないので,5月6日,7日は仙台に戻るが。その後は,七七日の法要で実家に。結局埼玉に戻るのは13日以降か。

2月のコミティア行っていないから,折角なので5日のコミティアに行って,お気に入りのところに行きたいけど。自分,キモくてうざく思われないのかなと不安。
というか,国際展示場まで行くのに結構お金かかるな。1時間半かかるよ。
エアコンや照明器具等,生活用具新しく買わなければいけないので節約もしなければいけないから,コミティアに行くのどうしようか。
エアコンにどれくらい予算かけようか。5万か,いっそのこと10万か。

最近,エンタの神様を視るようになった。長井さんや波田陽区さん,だいたひかるが面白いけど,摩邪も最近面白い。ハァ?。コンビものよりもピン芸人の方が好きだな。
あ,Korea DPRに対するFIFAのペナルティ,かなり厳しい処分(第3国での開催,かつ無観客試合,2万スイスフランの罰金)だな。まぁ,UEFAも厳罰主義だし。残ったホーム主催試合があと1試合であるのも理由かもしれないから。
ところで,FIFAworldcup.comのニュースを読むと,イランにもペナルティが課せられたようだ。3月26日のイランvs日本戦の後に何が起きたか忘れたけど,何だったかな?。でも,こっちのペナルティは次のホームゲーム,対 Korea DPR戦は最大観客人数5万人に制限して行うことと,3万スイスフランの罰金だ。
そういえば,無線部の後輩が古いリグ(無線機)が修理できなくなって困っていると訴えていたな。秋葉原で安いHFのリグ探してみようかな。というか,俺も買えといわれそうだ。

さすがに2DKとはいえ,築25年だと家賃も安いな。築25年の割りには,建物しっかりしているし,中もリフォームしているし,大家さんもいい人そうだし。一人で4,5年程度住むと割りきるには結構いい物件だと思うのだがどうだろう。

2005/04/27

腹立つ

腹立つ。人が丁寧に質問だせば,なんだあの回答は。バカが。

ほんとに女はいやな生き物だ。

まだ,腹が立つ。このやろう。この怒りをどこにぶつければいいのだ。

2005/04/25

先を見すぎて心配になるくらいなら、

ウイルスバスターを2ライセンス使っているが,滅多にWindowsを起動しない私はいったい何だったのだろう。

アパートのすぐ側のロータリーでは,警察がよく一時不停止を検挙しようとパトカーが配置されている。
自分は常に警察がいるものだと思って,必ず一時停止をするようにしているけど,まぁ捕まる場面をよく目撃する。
酷いときには,見張るためにパトカーを停めたとたん,直に一時不停止の車・バイクを検挙しようと回転灯を回して追尾開始する。
まぁ,この件に関してはあまり問題をいう気はしないが,私有地にパトカーを配置するのはどうなのだろうか?(許可取っているのか?)そこだけが気になる。

午前中,理学部に修了証明書を取りにいった。玄関先で激しく足をひねった。
夕食の時間帯に,工学部にいって在籍証明書を取りにいった。別に工学部でなくてもいいが夜遅くまで自動証明書発行機が動作していることや,駐車場が目の前なので楽。片平では,その自動証明書発行機がどこにあるのかとさまよったがついに発見できなかった。

一応次の新天地は決まっているのだが,しかし学生時の就職活動や今回の転職活動を通して,日本の企業で一次面接を突破したことがない。大きなところばかり受けすぎたためなのだろうか。そのコンプレックスが非常に今後の人生に大きな不安を与えている。なぜ面接を突破できないんだろうと情けなく,悲しく思う。
相性というのがあるのだろうか?よくわからない。それよりも,なぜ今度の新天地では無事,面接突破したのかがわからない。本当に相性で決まるのだろうか?,それともたまたま偶然に求める人材と一致したのか。

気の早い話だけど,今後もたぶん職場が変わることはあるだろう。また,事業ができるくらいのお金が集まったら,地元に帰ってほそぼとその日の糧が得られる程度の仕事をやっていければいいと思っているから,別に日本の企業,日本の企業と拘らなくてもいいのか。今度は,働きながら人脈をもっと広げることもできなければならないのだろう。

「10年後に何がおこるかわからないから,あんまり先のことは考えるな」とよく母に怒られる。まぁ,35年ローンで家を買える時代はもう終ったのだろう。適当に一人で親を支えながら生きていられるようになれる強さが欲しい。

でも,今日は足首が痛い。

2005/04/23

泣きたいくらい辛い道だけど

荷作りしている最中に,水曜どうでしょうのDVD「ベトナム原付縦断1,800キロ」を流しぱなしにしている。

前にも書いた内容かもしれない。でも,何回だって書いてやる。
ホーチミンにゴールした後,今までの企画内容の映像をバックにして流れる「1/6の夢旅人」には,泣かされる。サイコロ3から格別に内容が良くなっていく4人組。それにonちゃん,安田さんをはじめとするTeam NACSのメンバー。企画も良い意味で馬鹿馬鹿しくなっていく。
その中での「1/6の夢旅人」の歌詞。
水曜どうでしょうには学生時代の何か良き懐しさを感じる。特に自分として変わることができた,高校時代を思いださせてくれる。だから好きなのだろう。

馬鹿で,泣きたいほど情けない自分だけど,新しい朝はいつものようにやってくる。その中でも,笑って生きていける自分になれるように勇気を与えてくれる。

「どうでしょうバカ」といわれたってかまわない。逆に誇りに思える。あの4人のように,笑って生きていきたい。
今までも辛い,発狂してしまった自分はこの世には必要ではないかと思う時だってある。でも,「どうでしょう」は笑って生きるお手本を見せてくれる。

footballでは,厳しさ楽しさを学んだ。「どうでしょう」では,笑って生きることを学んだ。泣きたいくらい辛い一人旅の道程かもしれないが,もうちょっと先に進んでみよう。

まとまらない。いや,ラスト・ランのエンディング映像と「1/6の夢旅人」に感動して,泣いていても笑って生きたいと思っただけなんだが。でも,それでいいでしょ。彼らも,新しい道に進んでいるように,僕も新しい道に進んでいく。

墓参り

3日間,妹と一緒に実家に帰った。妹の休みが不定期であること(介護職のため)と,私が既に退職を決め,5月から働く会社が決まっている状況だからこんな時期に実家に帰ることができるのだろう。

49日の法要が終るまで,1週間毎に墓参りをしているようだ。墓参りの時間が朝7時というのはとても辛かったが,自分も朝型の生活にしなくてはいけないのでそろそろ体調をコントロールしなければならないから好都合でもあろう。納骨の時とは違い,全く雪はなかった。

帰るとき,また号泣してしまった。新天地へという不安もあるが,何よりも不安なのは母を一人にしておくことだ。自分が生まれる半年前の30年前,父の祖父が亡くなったとき,父の勤務地は宇都宮だった。位牌を持って宇都宮に行ったという。祖母を独りにして。
その時と同じことを今自分はしてしまう,そういう不安で一杯だった。唯一の違いは私は独身であることでまだ自由の身であることだろうか。

泣きながら,頑張って成長しなさいといった母の言葉を胸に残して,仙台に戻った。確かにいつまでも泣いてなんかいられない。

2005/04/22

雑多

なぜか,2000年フットボールU-23世界選手権じゃなくて,シドニー五輪のサッカー競技の開幕ゲーム,イタリア対オーストラリアの試合を流している。確かNHKの山本−まげてきた〜−アナと木村和司さんの実況コンビだったと思う。
ヴィドゥーカとか,ガットゥーゾ,ココ,ザンブロッタとか,よく知られた名前が連呼され懐しく思う。
この当時,小野はフェイエノールトにいたっけ?
インターミラノと呼称しましたか。何か新鮮な響き。いつもインテル終ってるといっているからな。

南アフリカ対日本の試合のビデオも残ってあった。
当時セグンダセルタに所属していた,ベネディクト・マッカーシーを連呼したり,「あのマンチェスターU所属の」フォーチュンといったり,伝説の「ゴール」実況 だったり,懐しい。

そういえば,七十七銀行で手続きしてたときに銀行の機関紙を読んでいたら,小牛田町のすばらしい企業を見つけた。
(株)東北イノアック
IRCというブランド名のロードレーサー用タイヤは知っているが,小牛田の会社だったとは。まぁ,このページでも見てくれ。

2005/04/18

青色図書館(LaLaDX 2005年5月号)

以前にも書いたが、私のお気にいりの作家の一人に林みかせさんという方がいる。

最近漫画買ってもすぐに放り投げてしなうといったが、風呂の中で久しぶりに2005年5月号のLaLaDXの林みかせさんの作品「青色図書館」を熟読できた。
登場人物中に「先月の連載落としだんだ」と言わせるところがすごい。

反応がある分だけましなのだろうか、何もないところに埋没してしまう多々の作品の中で。
でもその反応がいい評価なのか悪い評価によって人は多いに影響を受ける。内面に向かうような人はなおさらだろう。漫画なんだけど、それ以外の内容を読めた感じがする。

ただ、風呂からあがり体を拭きはじめたら「そんな都合よく自分のことを評価してくれる人に出会えないだろうな」と嫌なことを思いついてしまった。

自分だったら、どう評価してもらいたいのだろう。
言葉でいってもらいたいのか、金銭面つまり給料で示して欲しいのか、どうやって評価してもらいたいのかわからない。
以前やったnet-snmpのv6関連の仕事は本当に評価に値するものなのか、研究室の友人はいい仕事だと言ってくれても自分には何か実感がわかない。
「あんたを会社に受けいれたい」といわれたいのか。
登場人物、朝比奈麻衣のような人から「あなたのことをもっと知りたいよ」といわれたいのか。これは、単に自分の寂しさの愚痴を言っているだけにすぎないのか。

葬儀の記憶

葬儀の記憶というのを文章に残すというのは、いろんな面において重要でないかと思いこの文を記す。全てのことを一回で記録することはできないので、思いたったら記述してみる。

どこか、友引が入っていたのだろう。鹿角市の火葬場は友引には業務をしない。そのような火葬場は結構多いはずだろう。遺体安置、納棺、火葬、通夜、葬儀の順だった。告別式という名称はなかったのだが、告別式というのが何のことを意味するのかはよくわからない。

確か、火葬の前の日だったと思う。納棺を午後4時に取りおこなうまでの時間が空いているということで、菩提寺の境内の中の自分家までの墓地を確認した。
今年は雪が多かったため、大人6、7人で、墓場までの道を作り、墓が土台まで見えるように、雪を掘った。周りに人が立てるように幾分のスペースを確保するためにも雪をたくさん掘った。
1時間以上は雪を掘っていたような気がする。それよりも、雪で濡れた御影石はとても滑りやすいことは忘れるな。滑ってそこで頭をうったら、また直ぐに新しい葬式だ。

不思議と筋肉痛は覚えなかったが、あまり自分は働かなかったことを意味しているのか。普段、肉体労働(建設、介護)の人にまかせきってしまったのか、なさけない。

2005/04/15

新天地へ

桜ヶ丘団地前のバス停から,川平団地経由したバスには気をつけろ。特に,午後4時から午後7時くらいの間だ。
一発でオンナという生命体を嫌いになれるぞ。
気をつけろ。

それはされおき,腹痛・発熱でただ単に横たわっていたときはただ単に寂しかった。
寂しさを紛らわそうと,どうでしょうのDVDを見ても,ふと寂しくなる。
振られたからか。それとも祖母がいなくなったのか。
前者だったら,ただそんなだけを相手に都合よく求めていたのかとまたどこかで誰かが怒っていそうだ。何か女性というのが恐い。自分は結局何もできないから,仕方ないといえば仕方ない。
妹もいっていたけど,あんたが少女漫画等にハマっていったのはその寂しさを紛らわそうとした代償ではないのかと,指摘された。
最近,少女漫画だけでなく漫画にもだんだん興味を失なってきているのは,危険かもしれない。まだ「どうでしょう」がある分だけ今は幸せなのだろう。

もう一つ恐いのは,今の母の状況が31年前の父の祖母と同じ状況になってしまったことだ。唯一の違いは,父は生きているが単身赴任で毎週末2時間近くかけて帰ってきている。祖母は20年近く独りだった。幸い,姉と弟は近くに住んでいるが一緒に生活している理由ではなかった。複雑なことに家は貧しい家系だったようなので,養子に出したり戻したりしていたという話も耳にした。
あと,もう少しで父も定年になる。実家に近いところに勤務地を移動してくれるかというといっても人事はそんなに甘くはない。民間会社だったらNTT地域会社のように逆にリストラの対象になるだろう。

そういった意味で,自分は早く実家に戻りたい。お金を稼いで実家に戻る。祖父・祖母が貧しさに苦しんだが,今の立派な父を育てている。自分も立派にお金を稼いで,地域社会に貢献したい。
田舎に帰ると結婚しろとかもいわれるが田舎で30以上で結婚できない人はざらにいるのでそんな心配もしなくてもいい。今は喪に服して,そのような女性関係とかは考えられないようにしたい。(考えたくないが,煩悩として頭に浮かんでしまう)

そういった意味で,キャリアアップとよりよい収入を求めて4月中に仙台を離れることを宣言します。今まで仙台近郊でお世話になった方々どうもありがとうございました。遠く離れた地から貴殿の成功,健康,幸福をお祈りいたします。

2005/04/13

自炊なんて暫くやらない

自炊したら激しく腹を痛めた。スポーツドリンクぐらいしか喉通らねぇ。

KHB(東日本放送)の今日のどうでしょうClassicは野球延長の心配がないから楽だ。助かった。何分延長したかチェックしてなければいけないから。

野球中継が恐いのはいつ放送が終了して,その後の番組がどうなるかを中継が終わるまでわからないところ。今回は,21:30から報道ステーションをやることが決定しているようだから安心できる。

ので,横になりながら阪神vs巨人戦を観戦。面白いよ。

2005/04/10

発狂、生への絶望、生きること

現在,休職している。ここ半年で何回も会社内で発狂してついに出社停止命令状態が出されてしまった。

3月の3連休は妹も休みを合わせるということで一緒に実家に帰った。祖母,父,母,妹,自分と久しぶりに5人合わせた3日間だった。

既に退職を前提としている。退職届は出した。しかし,一応引きとめが入っている。ただ,5年勤務して常に不安・発狂からおびえながら勤務するのは職場に迷惑がかかるということで,ここで身を引くのが妥当だろう。まだオープンに出きない事項もあるが,一応,実家に帰ってじっくり休養しようかとも考えている。

発狂した原因を単純にいうと,将来の不安だ。別名お金だ。

ほんのちょっとの間,彼女ができた時期がある。
しかし,「健康があってのお金だよ」という彼女の主張に,僕は「健康はある程度はお金で買える。お金がなければある程度の健康は維持できない」と主張したら,激昂された。
更に,あんたが不安定なのは添加物がたくさん入っているスーパーの食材ばっかり食べているのだからだ,とも罵しられた。これっきりで,縁が切れた。
今,どの程度スーパーのお惣菜に食品添加物があるかどうかわからないが,セブンイレブンでは保存剤をいれていないことを宣伝文句にしているので,ある程度は大丈夫だろう。それよりも,添加物が入っていない物を探すのが大変なのではないか。飼育された肉にだって抗生物質は入っているだろう。

僕が,お金にこだわるのは「健康はある程度はお金で買える。お金がなければある程度の健康は維持できない」という一点である。

4年前に叔母が脳腫瘍で亡くなったとき,そのとき叔父にどれくらいお金がかかったかぶっちゃけ聞いてみた。まず出身地の鹿角ではその治療はできないので岩手県盛岡市の県立病院に転院した。
今は,完全看護を標傍しているのでつきそい介護の必要はない。しかし,叔父や母は交代交代で鹿角市から盛岡市へ行ってつきそい介護をした。その方法に反対もあるかもしれないが,身内が側にいることは入院患者にとってとても心強いものであるだろう。
話が跳んだが,お金のこととなると保険医療だと月の上限(8万弱)が決まっているのでその部分は何とか医療保険で対処できるかもしれない。しかし,健康保険では対処できない部分で非常に負担がかかったようだ。移動手段だけでなく,介護者の食事,当然残された家族(息子,祖父,祖母)の面倒などなどお金は消費していく。月80万,2年近くで1,600万使ったようである。たまたま,事業もやっていてお金の貯蓄があったからできたのだろう。
しかし,これからの年収300万円時代ではそんな介護はやれるわけがない。医療費の削減が目指されている中で,入院患者への負担は増えていくばかりである。

不安からの職場での発狂,彼女からの縁切り,もう自分は社会に必要ではない人間だろうと思いはじめた。

今まで,LaLaDXとか読んでいたけど何故か目を通したくなくなった。マンガ本買ってもざっと目を通して直に投げだしてしまう。恋愛ものやセックスものなら尚更だ。comitiaにも結構顔を出したが,そこに行こうという意欲が全くわかなくなった。
また,性欲というのが失なわれた。自慰しようとしてもできなくなってしまった。
何度か包丁やカッターを手首に当てた。しかし,その度胸がなかった。実際に,元F1ドライバー A.ナニーニ(古いな)はヘリコプタ事故で腕切断しても接合手術を受け成功したし,A.ザナルディも両足を失ないながらも元気に活動している。動脈を切断して出血死という方法がわからなかった。
首をタオルを使って締めた。でも,正しい締め方をしらないのでただ単に苦しいだけだった。
別の精神科医にも何件かいった。冷たくあしらわれたところもあった。いったい何なんだろうと思いながらさまよった。

疲れたところで,訃報が入った。父方の祖母が入浴時に倒れたという連絡だった。運悪くビールを飲んだ後なので,妹の運転で鹿角に直行した。
向かう途中,何しても元気な婆ちゃんだからここ数日の寒暖の差で体調を悪くしたのだろうと,楽観視していた。
しかし家に着いた後,床の間の部屋に守り刀を胸に置いた婆ちゃんの動かない姿があった。全く動かない,呼びかけても応答しないお婆ちゃんの姿だった。信じられなかった。

死亡時刻は午後8時26分,死因は心筋梗塞だった。末期の水を取らせた。夜中何度か目が覚めて祭壇の前で手を合わせたが,よくわからなかった。ただただ涙が出てくるだけだった。火葬のときもただただ涙が出てくるだけで,手を合わせるだけだった。

幸いなことに,最後の診療費は6,000円程度。文章作成料(死亡診断書)3,000円,遺体処置料2,000円。時間外なので健康保険が使えないらしい?
そういった逝き方であった。最後までケチな婆ちゃんだった。婆ちゃんらしいといえよう。

前の住職からも弔電が入った後,その住職も亡くなった連絡を頂いた。仙台に帰る前に,納棺さえた和尚さんの最後のお姿を拝見してから帰った。

印象に残ったのは,いろいろ日頃からお世話になっている現住職が祖母や前住職を笑顔で見送っているのである。婆ちゃんのことを「谷内の母さん」といって。これが禅の修行を積んだ人の姿なのだろうか

こういろいろあったが,今まで生きていく価値がないと思っていた自分だが,仏さまに生きらされているという修証儀の教え,まだまだわからないがせっかくの休養期間熟読して,少しは生きてみようと思えるようになった。まだまだ不安定な状況は続くが,何とかなるだろう。
あと,叔母のときに行なった自分の母のように家族との連携ができるような相手と出会いたいものである。ただ,そんなことを考えている自分は欲張りであり,生かされている自分には邪念なのかもしれない。

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