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2005/04/10

発狂、生への絶望、生きること

現在,休職している。ここ半年で何回も会社内で発狂してついに出社停止命令状態が出されてしまった。

3月の3連休は妹も休みを合わせるということで一緒に実家に帰った。祖母,父,母,妹,自分と久しぶりに5人合わせた3日間だった。

既に退職を前提としている。退職届は出した。しかし,一応引きとめが入っている。ただ,5年勤務して常に不安・発狂からおびえながら勤務するのは職場に迷惑がかかるということで,ここで身を引くのが妥当だろう。まだオープンに出きない事項もあるが,一応,実家に帰ってじっくり休養しようかとも考えている。

発狂した原因を単純にいうと,将来の不安だ。別名お金だ。

ほんのちょっとの間,彼女ができた時期がある。
しかし,「健康があってのお金だよ」という彼女の主張に,僕は「健康はある程度はお金で買える。お金がなければある程度の健康は維持できない」と主張したら,激昂された。
更に,あんたが不安定なのは添加物がたくさん入っているスーパーの食材ばっかり食べているのだからだ,とも罵しられた。これっきりで,縁が切れた。
今,どの程度スーパーのお惣菜に食品添加物があるかどうかわからないが,セブンイレブンでは保存剤をいれていないことを宣伝文句にしているので,ある程度は大丈夫だろう。それよりも,添加物が入っていない物を探すのが大変なのではないか。飼育された肉にだって抗生物質は入っているだろう。

僕が,お金にこだわるのは「健康はある程度はお金で買える。お金がなければある程度の健康は維持できない」という一点である。

4年前に叔母が脳腫瘍で亡くなったとき,そのとき叔父にどれくらいお金がかかったかぶっちゃけ聞いてみた。まず出身地の鹿角ではその治療はできないので岩手県盛岡市の県立病院に転院した。
今は,完全看護を標傍しているのでつきそい介護の必要はない。しかし,叔父や母は交代交代で鹿角市から盛岡市へ行ってつきそい介護をした。その方法に反対もあるかもしれないが,身内が側にいることは入院患者にとってとても心強いものであるだろう。
話が跳んだが,お金のこととなると保険医療だと月の上限(8万弱)が決まっているのでその部分は何とか医療保険で対処できるかもしれない。しかし,健康保険では対処できない部分で非常に負担がかかったようだ。移動手段だけでなく,介護者の食事,当然残された家族(息子,祖父,祖母)の面倒などなどお金は消費していく。月80万,2年近くで1,600万使ったようである。たまたま,事業もやっていてお金の貯蓄があったからできたのだろう。
しかし,これからの年収300万円時代ではそんな介護はやれるわけがない。医療費の削減が目指されている中で,入院患者への負担は増えていくばかりである。

不安からの職場での発狂,彼女からの縁切り,もう自分は社会に必要ではない人間だろうと思いはじめた。

今まで,LaLaDXとか読んでいたけど何故か目を通したくなくなった。マンガ本買ってもざっと目を通して直に投げだしてしまう。恋愛ものやセックスものなら尚更だ。comitiaにも結構顔を出したが,そこに行こうという意欲が全くわかなくなった。
また,性欲というのが失なわれた。自慰しようとしてもできなくなってしまった。
何度か包丁やカッターを手首に当てた。しかし,その度胸がなかった。実際に,元F1ドライバー A.ナニーニ(古いな)はヘリコプタ事故で腕切断しても接合手術を受け成功したし,A.ザナルディも両足を失ないながらも元気に活動している。動脈を切断して出血死という方法がわからなかった。
首をタオルを使って締めた。でも,正しい締め方をしらないのでただ単に苦しいだけだった。
別の精神科医にも何件かいった。冷たくあしらわれたところもあった。いったい何なんだろうと思いながらさまよった。

疲れたところで,訃報が入った。父方の祖母が入浴時に倒れたという連絡だった。運悪くビールを飲んだ後なので,妹の運転で鹿角に直行した。
向かう途中,何しても元気な婆ちゃんだからここ数日の寒暖の差で体調を悪くしたのだろうと,楽観視していた。
しかし家に着いた後,床の間の部屋に守り刀を胸に置いた婆ちゃんの動かない姿があった。全く動かない,呼びかけても応答しないお婆ちゃんの姿だった。信じられなかった。

死亡時刻は午後8時26分,死因は心筋梗塞だった。末期の水を取らせた。夜中何度か目が覚めて祭壇の前で手を合わせたが,よくわからなかった。ただただ涙が出てくるだけだった。火葬のときもただただ涙が出てくるだけで,手を合わせるだけだった。

幸いなことに,最後の診療費は6,000円程度。文章作成料(死亡診断書)3,000円,遺体処置料2,000円。時間外なので健康保険が使えないらしい?
そういった逝き方であった。最後までケチな婆ちゃんだった。婆ちゃんらしいといえよう。

前の住職からも弔電が入った後,その住職も亡くなった連絡を頂いた。仙台に帰る前に,納棺さえた和尚さんの最後のお姿を拝見してから帰った。

印象に残ったのは,いろいろ日頃からお世話になっている現住職が祖母や前住職を笑顔で見送っているのである。婆ちゃんのことを「谷内の母さん」といって。これが禅の修行を積んだ人の姿なのだろうか

こういろいろあったが,今まで生きていく価値がないと思っていた自分だが,仏さまに生きらされているという修証儀の教え,まだまだわからないがせっかくの休養期間熟読して,少しは生きてみようと思えるようになった。まだまだ不安定な状況は続くが,何とかなるだろう。
あと,叔母のときに行なった自分の母のように家族との連携ができるような相手と出会いたいものである。ただ,そんなことを考えている自分は欲張りであり,生かされている自分には邪念なのかもしれない。

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