葬儀の記憶
葬儀の記憶というのを文章に残すというのは、いろんな面において重要でないかと思いこの文を記す。全てのことを一回で記録することはできないので、思いたったら記述してみる。
どこか、友引が入っていたのだろう。鹿角市の火葬場は友引には業務をしない。そのような火葬場は結構多いはずだろう。遺体安置、納棺、火葬、通夜、葬儀の順だった。告別式という名称はなかったのだが、告別式というのが何のことを意味するのかはよくわからない。
確か、火葬の前の日だったと思う。納棺を午後4時に取りおこなうまでの時間が空いているということで、菩提寺の境内の中の自分家までの墓地を確認した。
今年は雪が多かったため、大人6、7人で、墓場までの道を作り、墓が土台まで見えるように、雪を掘った。周りに人が立てるように幾分のスペースを確保するためにも雪をたくさん掘った。
1時間以上は雪を掘っていたような気がする。それよりも、雪で濡れた御影石はとても滑りやすいことは忘れるな。滑ってそこで頭をうったら、また直ぐに新しい葬式だ。
不思議と筋肉痛は覚えなかったが、あまり自分は働かなかったことを意味しているのか。普段、肉体労働(建設、介護)の人にまかせきってしまったのか、なさけない。
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