Masterキートン
結婚式場の広告を見ると多少嫌になる今日この頃。どうせ斜陽産業なのに。最近は頭にくると眩暈がしてぶっ倒れそうになるので注意しなければならない一方,倒れてはまずいと,逆に自分の適当さが増すので気分的にはかなり楽。
そんな中,ふとMasterキートンを読みなおしはじめた。これを読んでいると何もかもが許せそうな気がする。3巻にキートンが離婚した時の心境を物語っている。
「………離婚してどうだった?」それを読んで,僕は今まで考えていたことはどうでもいい気がした。悪い意味でなく,それからでも大人に脱皮していけるのではないかと。結局今このままの状況でも,楽しみがあればいいじゃないか。いいじゃないか。
「とても悲しい気持ちだった……」
「でも……」
「でも?」
「僕は彼女と別れて,少しだけ大人になったような気がする……」
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