ただ単にカウンタがリセットされただけ
明けたけど,じいちゃんのことを考えるとめでたくもありません。
何もかも諦めて,実家に戻った。何もかも諦めて。収入,人生設計,恋愛(そんなのはないが),全てを投げ捨てて。ただ単に生き続けるために,実家に戻り仕事を探した。もう一人で生きてはいけない状況だった。
眠りについても,夢の中で過去の記憶がよみがえり,全く休めない夜もある。仕事中,過去の記憶がよみがえり,胃が痛くなり,立っているのも辛くなる時がある。正直,なんで今生きているのか理由づけられない。生きる理由もないが死ぬ理由もないので,ただ生きているということを受けいれただけでよくわからないのが今の感じなのである。論理じゃない。
国家の品格を読んで激しい嫌悪感を抱いているのは,「ならぬものはならぬのです」と一方的に権威でもって意識付けられるところにある。本当に考えた結果,辿りついた答えなのか。全くそのような背景が感じとれなかったからだ。
物欲を満たすことで達成感が得られる。Footballの試合を見ることで充実感を得られる。マンガ,アニメを見ることで爽快感が得られる。自転車に乗ることで快感を得られる。今は世俗的な満足感に生きる理由を見つけているが,それが意味のないものだと感じたとき,自分はどのような選択をしているのだろうか。
« 「国家の品格」(藤原正彦) | トップページ | 間違い »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 「グロリア・スコット号」の訳(2011.09.18)
- (2010.06.11)
- ぐったり中(2010.03.15)
- ThinkPadがこの先生きのこるためには(2010.03.15)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント